脱 日本基準
前回のブログから、1ヶ月近く経ってしまいましたね。
実は愛する老猫 ガラちゃんの具合がとても悪いのです。彼女も17歳。覚悟をしなければと思いつつ、メソメソしています。まだ頑張って生きているのですから、明るくしてあげないといけないですね。 そんな気持ちに加えて、8月9日より「第1回ワシントン国際ピアノフェスティバル」へ行って来ました。 企画する方の立場でしたので、準備段階から色々と雑務におわれ、なかなかパソコンに向かえなかったのがもう1つの理由です。
さて、そのピアノフェスティバルですが、大変盛りだくさんの企画でした。 詳細は少しずつアップして参りますよ。お楽しみに! 帰国して数日。色々なことを振り返っています。 ちょうど8月は日本ではコンクールシーズン。ピティナピアノコンクールをはじめ、皆さん多くのコンクールに参加されています。 コンクールの意義はともかく、バッハやベートーヴェン、ドビュッシーなどの作品を、「日本人が、日本人の演奏を評価する」ことの難しさと面白さ!色々ありますね。 特に曲が小さい低学年の曲やバッハの作品などは、何となく日本のスタンダードが出来上がっているように感じて、面白いなあ~と思うのです。
その「日本基準」の存在を実感するのが、海外に行った時。 基礎とは?表現とは?感性とは?スタイルとは?読譜とは? そんな観点を見るために、世界には別の基準があることを思い出させてくれるのです。
海外のコンクールや音楽祭での時間、とても貴重な時間です。